「伊勢参拝の達人」運営者・青山和加のプロフィール

こんにちは。青山和加です。

このページを訪れてくださり誠にありがとうございます。

私は伊勢に生まれ育ち、そしておかげさまで、伊勢の観光ガイドには出てこないような

伊勢の隠れた名所やお力のある宮社を知り得る機会に恵まれました。

その中には、伊勢に住む人でもあまり知られていないようなところもあります。

私にこのようなちょっと特殊とも言えるこれらの知識を授けていただいたことには、何か意味がある。

そう感じたとき、私にはある一つの言葉が思い浮かびました。

「私の人生に与えられた使命はこれだ!」

そんなふうに思える言葉でした。

その言葉を心に刻み、現在は

・この「伊勢参拝の達人」の運営

・ビジネス・恋愛・家族など、人生のさまざまなテーマにおける開運のための鑑定

などを行なっております。

では、私が現在のような活動をするきっかけとなった「ある一つの言葉」とはどんな言葉なのか?

それは私の生い立ちと深く関係があります。

というわけで、このページでは、私の生い立ちを交えながら、私の活動を支えている「ある一つの言葉」をご紹介するという、

ちょっと変わったプロフィール紹介をさせていただきたいと思います。

■私は、私のことを想ってくださる人がいたから生きてこられました。

伊勢の山深い村に生まれ、家族や親族に障がい者がいる家に生まれた私。

村じゅうの人たちからつねに好奇の目で見られ、大人にも子供にもずっといじめられてきた幼少の頃。

生きることに絶望して、誰とも話さずただ無気力に時間を過ごすだけの私を救ってくれたのは、小学校の体育の先生でした。

私のことを見かねて、「とにかく、毎朝校庭を走れ」と、そう指示するだけでなく、毎朝私が走る姿を見守り続けてくださったのです。

そのおかげで、私はマラソン大会や徒競走で最下位から一気に一等賞が取れるほどまでになり、同級生からも認められる存在になることができました。

さらに、私は父にも救われました。

父には重い障がいがあったのですが、私が校庭で走るのを頑張り始めた頃、毎朝毎晩、神棚をきれいに清掃して、お経をあげるようになったのです。

お経の後には

「ご先祖様、いつもお守りいただいてありがとうございます」

と感謝を述べ、その後に必ず次の内容を唱えていました。

まずは、家族の健康への祈り。

次に、

「家族や親族に障がい者が多く、つらいことが起こっているのは私たちの不徳の致すところであり、それを改めます」

という、神様とご先祖様へのお詫び。

そして、最後は

「これからは先祖供養をし、神仏を崇めて、自分さえよければいいことはせず、周りの人に与える人生を生きていきます。今後ともお導きのほど、どうぞよろしくお願いいたします」

という宣言。

父は来る日も来る日もこれらのことを続けていたのですが、すると、私の家族には良きことが起こるようになったのです。

たとえば、私たち兄弟は、運動も勉強も群を抜いて才能に恵まれた子供だと村で噂されるほどになりました。

好奇の目で見られていた私たちは、一気に村の人たちから期待の星のように見られるようになったのです。

それを知って、父も、そして母も、私たちの将来が楽しみになり、それを励みに元気を取り戻していきました。

もちろん、私たち兄弟はそれ相応の努力をし続けていました。しかし、それだけでは説明がつかない何かを私は感じていました。

しかしその後…。

名古屋の会社に就職して働いていた頃、結婚の約束までしていた彼が突然他の人と結婚するという手痛い裏切りに遭い、私はまたも生きる気力を失ってしまいました。

そのせいで会社も退職し、人が信じられなくなり、地元の伊勢で引きこもる生活に。

「生きていくのがつらい…」

そんな想いしかなかった私でしたが、この時もまた、私のことを想ってくださる人に救われます。

その人は、私が「師匠」と呼んでいる、なぜかいろんな方の相談に乗り、生きづらくなっている人たちを住まわせて共同生活をしている方でした。

その「師匠」が、何もかも信じられなくなって閉ざし切っていた私の心をゆっくりと開いてくださったのです。

そのおかげで、私は生きる気力を取り戻し、今までの自分の人生経験を生かしてカウンセラーの道へ。

さらに、鑑定のお仕事など、お仕事の幅が広がり、今ではおかげさまで、とても充実した人生を歩ませていただいております。

このように、今の私があるのは、間違いなく、私のことを想ってくださる人がいたおかげです。

家族である父はともかく、体育の先生や「師匠」は、言ってしまえば私のことをこれほどまでに想っていただかなくても何ら責められることのない他人です。

それなのに、私のことを想ってくださった。

このことには、いくら感謝してもし尽くせません。

そして、その感謝とともに得たのは、「家族以外にも自分を想ってくださる人がいることの心強さ」です。

人って、自分のことで精いっぱいで、他人のことを想うなんて、なかなかできかったりしますよね。

にもかかわらず、私には、私のことを想ってくださる人がいた。

そのおかげで救われ、頑張れた。生きてこられた。

■今度は、私が誰かを想いたい!

素直にそう思いました。

これこそが、私が現在のような活動をするきっかけとなった「ある一つの言葉」です。

ここまで読んでくださっているあなたを想いたい。

あなたの幸せを願わせていただきたい。

これだけなら「どうして?」と思われるだけかもしれません。

しかし、さきほどの私の生い立ちのように、生きていれば、つらいことも苦しいこともあります。

孤独を感じてしまうこともあります。

それでも他人は基本的に、そんなあなたのことを気にかけません。

あなたの人生やあなたの幸せより、自分のこと。

そんな人が大半ですし、それが普通だとも思います。

だからこそ、さまざまな方に想っていただけて救われた私が、

今度はあなたの幸せを願わせていただきたいのです。

そんな人が、この世界に1人いる。

それだけで、何かつらいことがあっても、思うように行かずに苦しくても、くじけずに前に進んでいける。

そのようなきっかけに、私がなれれば。

これが、さきほどお伝えしたような人生を歩んできた私の素直な想いです。

 私が伊勢に生まれ育ち、今も伊勢の地に住み、神宮などにほぼ毎日参拝できる環境にある意味もこの想いを果たすためにあるのではないかという気がしてなりません。

そのような想いから、こちらのサイト「伊勢参拝の達人」の運営や開運のための鑑定などを行なっております。

■私の理想世界は、世界中の人々が皆、他人の幸せを心から願う世界です。

「綺麗事だ」というご指摘はあると思います。でも、ここまでお伝えしてきましたように、私自身が人から想われ、幸せを願われたおかげで今こうして生きていられている人間です。

そんなふうに、他人を想い合い、幸せを願い合える世界になったらどれほどよいことでしょう。

その理想世界を目指すべく、まずは私が伊勢の地からあなたを想い、あなたの幸せを願うことから始めていきます。

■ただ、間違っていただきたくないことがあります。

それは、私自身は神様でも霊能者でもなく、ゆえに、あなたを幸せに導く力を持っているわけではないということです。

なのでそのようなご期待に沿うことはできないのですが、ただ一方で、父が神仏を崇敬して祈り続けたことや、「師匠」も神仏に崇敬深い人だったことから、私は神様や仏様のご加護による「目に見えない力」を実感しております。

私自身、先祖供養、お墓参り、神社参拝、お寺参りをしている時としていない時では、自分の運気の流れが違うと感じています。

事実、祈ることや、供養、参拝を続けることで、心が安定し、仕事がスムーズに進みました。

だからこそ、私自身にはあなたを幸せに導く力がなくとも、祈りの力、目に見えない力を信じて、私はあなたを想い、あなたの幸せを願い続けたいと思っています。

以上をお伝えした上で、あなたに質問をさせてください。

「あなたの幸せを、伊勢の地から願わせてください」と私がお願いしたら、あなたはそれを受け入れてくださいますか?

「わかりました。そのお願い、受け入れましょう」

そのように許可をいただけましたら、私は心からあなたを想い、あなたの幸せを願わせていただきます。

これをご縁に今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。